the dispossessed:明るい展望をみんながイメージするだけで、今の社会は魔法が解けて崩れていくんだってこと。
こんな妙なスペルの英単語ある?って思いますよね。先日会社で米人同僚から「で、選挙どうだったの」って訊かれておしゃべりしてたときに、
”People feel disposssessed.”
というフレーズが出て、そうそれ、ディスポゼスドなの!って。
「(財産など)奪われて、取り上げられて、立ち退きさせられて」と辞書にあります。この、とにかくお金の絶対量が足りない30年の不況で、社会保険料含む増税で、一般的に人々の手にお金が常に足りないから、
dispossessed が常態化して、うつろな、将来の見通しが明るくない、どんよりした展望が一般化してる社会で一番の問題は:
「子どもを持とう」っていう自然なやる気を削っていること→少子化、だと思います。
じゃあ、子どもを持つことが実際にそんなに不可能かって言ったら、そんなことはない。一人当たり数千万円必要とかマイナス情報が多すぎてビビらされてるだけで、ほんとはやってみたら案外なんとかなるものが、子どもを持つことだと思います。
産んでみたらいいじゃない、それで社会の理不尽にたくさんぶつかってからリアルタイムに声をあげていけばいいじゃない、社会のおかしいことを変えていけばいいじゃない。「お金ないのに子ども持つなんて」って諦めされられてるだけだから、そんなの気にせずにやってみたらいい。
バルファキス「父が娘に語る(美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい)経済の話」をもっと早く読めばよかったと後悔しつつ、でも今がちょうどいいのかもしれないとも思います。
「人々が明るい未来を信じられるかどうか」こそ、政治も経済も動かしている、というシンプルな正体を見せてくれる本。シンプル過ぎてだからこそ、
今の政府は人々が明るい未来を見ないように誘導する。明るい未来が見える人々は、子どもを持つし政治に関心も持つようになる。明るい未来を信じられる「希望」が人々を民主主義へと向かわせる。だから、
社会保険料含む増税で人々がお金を持てないようにして、友人と集いたくても飲み代がない、おしゃれしたくてもみすぼらしい恰好ではデートもできない、子どもが欲しくてもお金がない、というみじめな思いを若い人達に強いて、政治的弱者に留らせておこうとする。良いモノやサービスをいくら出しても市場が弱すぎて買えないから売れないという絶望。経済を衰退するままに。
dispossessed って聞いた瞬間に、この辛い単語が私に電気を流して、バルファキスと結びついて、この文章を書かせていまして結論は:
結局わたしが選挙で訴えたかったのはこれだったなって再確認:愛と勇気と希望。dispossessed に陥らないで、生きたい社会はつくれるから諦めることない→明るい展望をみんながイメージするだけで、今の社会は魔法が解けて崩れていくんだってこと。
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