家族の条件、夢のあるやつ
関西棋院杯こどもチーム対抗戦です。末っ子ジョーちゃんの大会イン梅田!会場提供いただいている大和ハウス工業さまの社屋にて。
「ヒカルの碁」でもまだ初期のころの、中学校囲碁部で団体戦のシーンが好きです。
かたや、お兄ちゃんは制服ベルトなしで遠征から帰ってきた(昨日書いたようにバッシュすら行方不明だし)。級友のベルトがちぎれたから、自分のをかしてあげたんだって…こういうことなんだかけっこうあるけど…男子って仲良いな〜。学校であらゆるモノはよく貸し借りするし、自販機ジュースおごったりおごられたり、そんなのが楽しいみたい。仲の良さを確認しあう男子ルーチンなのかな。
高校では中学校の学ランをそのまま、ボタンだけ金ボタンに替えて着てる子が多いから、新一年生なのに制服はピカピカではない。それもいいなって思います。なんでもピカピカじゃないといけないなんて…怖い!
以前、お兄ちゃんのランドセルを末っ子に使ってもらおうとしたら、周囲からむちゃくちゃ怒られたことがあります。親としてアタマおかしい!子どもがかわいそう!
えー?私はモノより愛派♥
どんな愛かといえば…
毎日子どもたちの気の済むだけその日のできごとを聞いてあげること(これは選挙の3ヶ月間さぼりました)。
いつも彼らを肯定していること。彼らは自己肯定感が高いはずです♥
できるだけ好きなおかずを作ってあげること、めんどくさいけど一緒に作ったりもすること。(子どもたちの幸福度はほんとに夕飯メニューに左右されますね)
とくに話を聞いてあげるというのは、私は家族ってシンプルにこのためにいると思っています。誰でもいいわけじゃないから!一日の終わりに話を聞いてもらいたいのは、それは愛する人達を相手に語り、笑顔で認めてもらいたい。今日もえらかったねって。
ムラ社会的な経済共同体の単位というのが家族の起源かと思いますが、旧統一教会と自民党が維持しようとするそんな家族観では原始的すぎて夢と希望がなさすぎて、苦しいですよね、生きたい社会ではありません。
私は一家にお金がどれだけあってどのくらいの暮らしができるかよりも、
たくさんおしゃべりしてるか、が一番の価値だと思う。そうは言っても教育にはとにかくお金がかかるから、お金のこともちゃんとがめつくしていないとまた、ランドセルのときみたいに、
親として自分のこと我慢して、なにがなんでも教育費を積み立てろ!
って社会からプレッシャーが来てしまうから夢がない。そんな家族運営じゃつまらない。だから基本的に、
1、みんなはもっとお金を持たないと、
そして、
2、教育は国が持つべきものなのです。義務教育は、政府が子どもたちに対して義務を負うという意味です、親じゃないんです。
この2つをこの国でやらないことには家庭というものが、
その日のできごとを語り合うだけで十分な場所でなく、多くの家庭人には経済運営(教育費捻出)ファーストになってしまう。それでは人生の価値も下がり、勿体ない。
みんなために私は、生きたい社会をつくりたい、民主主義でつくりたい。
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